河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

大衆の小衆化

大型連休のガサついた世間の中で
この時代の漠然と無意識に感じる不安
都会の街を歩けば、明るすぎる雑踏
観光地も駅も商店街も人の波
幸せそうな波頭
でも、それは鳥瞰で見た単なる景色
視点をアップに切り替えれば
賑わいは表面だけのエネルギー
笑いの表情の後ろ姿は陰湿
背後に忍び寄る不安の軍団
街の元気や観光地の活力は
現実を忘れたい一瞬の姿
忘却から走り回り飛び上がり
逃げ惑っているに過ぎない
今や大衆は小衆となり
マジョリティはマイノリティと化した
これを多様性社会と言うのは
あまりにも愚かな気がする
マスコミに操られている
地震 テロ 飢饉 戦争 病気
巨大地震が発生したら原発が安全などと
誰も思っちゃいないのに
余りにも多くの不安材料が
身の回りに有りすぎて
判断力ストップ状態
思考停止状況が今の、この国の姿に見える

(やっとGWの喧騒が終わった。行楽地の活況を伝えるニュースを見つめ、ボクは思う。みんな本当に楽しかったのだろうかと。むしろ辛かったんじゃないかと。群衆の後ろ姿にそんなことを感じた。)

Jazzはviolinがいい

coolなJazzはバイオリンがいい
一瞬遅れ気味のテンポの隙間がいい
そこに命の息吹がある
孤高の断崖に立つ反逆の狼煙に似て
薫りに染まる官能のエロス
Jazzは心の言葉を深める
人の魂を鷲掴みする言葉を探せ
本を読め
先達から學べ
独創の森へ旅立て
引きこもって自分と向き合うのもいい
人知の無力を確認するのもいい
孤独に漂うことは苦しい
深海に潜るな
山岳に登るな
浅学の徒でいい
低能の輩でいい
水平思考の景色も捨てたものじゃない
人生に深さや高さを求めなくていい
ましてや社会と言う名の世の中に
空気の有り難みが分かればいい
それだけでいい
Jazzviolinがallegroに転調した
(ジャズをバイオリンで聴きながら、言葉を綴っている。アンダンテの旋律の中から言葉が勝手に飛び出してくる。ボクはただそれをキーボードに打ち込んだ。)

風雲児がいないなぁ

ジャック
アメリカでは逞しく強い男をこう呼ぶ
ジャッキーはその愛称だ
ワンスアポナタイム
ジャッキーと呼ばれた好漢がいた
北国でボクシングGYMを経営していた
男心に男が惚れるような男前だった
ワンスアポナタイム
ジャッキーは渡世人だった
いつもこんなことを言っていた
『俺は後ろから撃たれたくない。正面から敵と闘い、一太刀でも入れて死ぬのが本望』
ボクは昔気質の残る渡世人の、唸りたくなるような、こんな台詞に弱いんだ
近頃、矢鱈目ったら足元ばかりを狙う輩のご時世には、ジャッキーの台詞が輝く
親の血をひく兄弟よりも
固い契りの義兄弟
仁義ある世代にボクは弱いんだ
ジャッキーは背中に墨を入れていた
それは鮮やかな浮世絵の刺青
二頭の龍神の囲みの中で
男と女が交合しているのだ
何ともシュールなエロスの薫り
背中に魔除けの刺青は、後ろから撃たれないお守りだった
百年以上も脈々と繋がる渡世人の刺青は
日本の伝統文化だ
そのジャッキーが突然渡世から足を洗って
ボクシングGYMの会長になった
北の国で多くの青少年を育成した
彼こそが将に風雲児だった
そんな男が近頃見当たらない
寂しい世の中になったものだ

(男心に男が惚れるような男前。荒れた世の中を駆け巡るような男前。そんな男どもは何処へ行ったのだろう。風雲児がいないなぁ)

恋は儚く辛いもの…

魂が色街を浮遊する

魂と魂が出会い、結合して恋が成就する

しかし、これが一筋縄では上手くいかない

だから、本来の恋は儚く辛いものなのだ

逢いたくても逢えない

結ばれたくても結ばれない切なさ

それが日本人本来の恋なのだ

万葉集を見れば分かる

万首の和歌の中に、恋の喜びを歌ったものは一首もない

万葉集の恋の歌はすべてが今、

目の前にいない相手を慕い想い求める歌ばかりだ

「忍ぶれど 色に出にけり わが恋は

ものや想うと 人の問うまで」

あの色男の平 兼盛もこう歌っている

人を好きになると、華やぐように内面の感情が浮き出てくる

あたかも皮膚が美しい花壇の花の如くに輝く

恋をした魚が婚姻色に身を装うように…

人も色に出るのだ

外に反映された内なる想いが恋なのだ

つまり、恋と想いは同義語だ

想い(おもい)は重い(おもい)と同意語でもある

心の中に、重いものを感じることが想いなのだから…

あの人を想うとは、心の中にずっしりと重たい感情を抱くことだ

恋とは決して楽しいばかりのものではない

恋は乞いとも同義語

儚い想いを乞い慕うのが恋なのだ

それは、離れ離れの恋人同士が

二人の魂を呼び求めあうことなのだ

つまり魂は浮遊しているものなのだって…

なんとか結論まで持って来たぞ、強引に…(笑)

 

(恋は英語で言うとI love youではなくてI miss you だろうね。

自分の前にいない相手を慕うのがmissだから。

目の前の相手を拘束したいほど抱きしめて離さない愛着が

「愛」Loveなのだ。)

 

 

五月の鯉が青空でつぶやいている

五月晴れの天空に吹き流しの鯉たちが叫んでいるようだ

私たちのように、口先ばかりが達者で

はらわたの無い大人になるなよと…

鯉のぼりは子供たちへの無言の助言

はらわたの無い大人たちが増殖している

形だけの見た目ばかりの大人たち…

ボクもそのひとりになるのが嫌で

自分の言うことや考えることを即座に信用しない

だってボクも人間の内だからね

何万回も失敗しながら、未だに戦争を止めない人間だからね

不安定な薄い膜の様なプレートの上に住む人間だからね

自分の言うことも、考えることも正しいとは思わない

コミューン的な個人の繋がりや連帯も好きじゃない

人間の原点は孤独だ

孤独とは、自分と言う存在の虚しさと向き合うことだ

だから、笑ったり遊んだり憎んだりすることは

全ては演技であり、フィクションだ

人間の原子核は孤独なのだから…

誰でもそうだけれど、一瞬で生と死が分かれる

これを不条理と言う

殺人や事故や天変地異や病魔や…

その不安や不気味さと闘うのは、いつも独り

今、人間たちは自然と共にあった神々さへも追放する

不条理の恐怖と引き換えに愛があることを忘れて…

春の温かな風は、愁いを連れてくる

悲しみとも違う

なんでもないことが、せつなく感じるのだ

これも五月の春風のなせる業なのか…

鯉たちが千切れるほどに泳いでいる

 

(ボクは春になると浮かれ遊びではなく、遣る瀬ない扉を開けて

独り逍遥するのが好きだ。夜の海は大潮で月の光が朧に霞んで海原を染める時、乙女の肌の様な砂浜に足跡を残しながら歩く。

子供の頃から海で育っった大人の習性かもしれないな。)

 

 

想定内とは分かりませんと言う意味だ

Olympic新エンブレムは参画と透明性を重要視したらしい
参画とは物事の計画に参加すること
透明性とは濁りのないこと
つまり前回のエンブレムデザインは
誰も参加できずに濁りきっていたらしい
出来レースってやつだ
あーあだね
きっと前回のデザイン決定を企てた人々は
想定外の結果だったのだろうね
だいたい、想定ってやつは危ういものさ
熊本の地震ではっきりしたよね
地震専門家だか研究家だか知らないが
あの想定のいい加減さ
地震調査委員会が今年の1月に発表した
熊本の布田川断層でM7クラスの地震発生確率は(30年以内 0.9% )としていた
それが三ヶ月後に発生した
その上、前振 本震 余震が来るとは分からなかったとさ
更に今後はまるで分からないんだそうだ
だったら予想したり、発表などしないでほしい
実はボクが40年前に地震学者に言われたことがある
『河村さん、明日から東京の地下鉄は危険だからお止めなさい。間もなく大きな地震がきます。地下鉄の中は助かりませんよ』
しかし今日まで、ボクはそのありがたい忠告を守ってはいないのだ
天変地異はなるようになるさケセラセラ
これがボクの想定だ(笑)

(日本列島で確認されている活断層は
約2000本。こりゃすごいと思ったら、まだ分からないのが6000本以上あるんだってさ。おいおいその上に原子力発電所が50ヵ所以上、政治家さんよ、これどうするの?)

被災現場と教育問題

となりの桃田クンと言う言葉が世間を歩いている

バドミントンの桃田選手を揶揄した言葉が…

個性を延ばすことばかりを重視して育ち

目立つことばかり考え、遊びに流され

思考が短絡的な若者のことだそうだ

20歳から26歳のゆとり世代の典型だと言う

その次の世代20歳以下は間逆で

ドライ思考で危ない橋は渡らないのだと言う

そんな彼らを。さとり世代と言うそうだ

今、若者たちは大人社会に翻弄されている

短絡的なマスメディアの方向付けに

教育現場も巻き込まれているのではないのか

そのミッションを指令しているのは誰だ

若者たちの意識を束で括ろうとしているのは誰だ

九州の被災地を見つめながら、ふと考えた

駆けつけているボランティアの中に

ゆとり世代と言われる若者が目立つ

その彼らが戸惑っている

例えば食品や物資が山積みされていても届けられない現実

義捐金が集まっても、すぐに分配されない現実

なぜなら行政はこんな緊急時にも守っていることがある

公平・公正

全員に配ることいができる数が揃うまでは配らない

それが公平であり公正というシステムらしい

一生懸命届けた人々の温かな想いは現場に届いていないのだ

今できることは、今困っている人々を助けることなのに

5年前の東北大震災現場

次々と腐って廃棄処分される支援物資を見つめた

あの時の経験が何も役にたっていない

善意ってなんだろう

安心感が人の心を結ぶ

ひとりで耐えられる不安には限界がある

素早いレスポンスと臨機応変

それをボランティアの若者たちが肌で感じてくれればいい

ボランティアの彼らに漂う社会への反発

単一化された枠組みへの抗議

ボクは彼らの姿にそれを感じた

生きた心ある教育とは、そういうことだと思う

 

(5年前の夏、ボクは学生たちを連れて東北の被災地へ行った。

善意を届けるつもりが、逆にすばらしいお土産を貰ってしまった。

それは東北の人々の心の温かさ。その温もりは未だに残っている。学生たちの心にも…)