静かに佇む古い洋館の玄関を入ると、うす暗い廊下が延々と続いている。
何処からか、流れてくる乾いた空気の中にエタノール臭。
更にその中に、中学生の頃、学校の実験室で嗅いだホルマリン臭も。
裸電球が灯るその廊下の左右は、検査室や薬品室や放射線室等を示すプレートがある。
けれども、人の気配は感じない。
ここは、都心にある大きな大学病院、人は居るはずなのに・・・。
何だか病院なのに、三途の川へ向かう道のようだ。
その暗い廊下の右に折れた突きあたりの部屋。
古びた木製のドアー。
突然、それが外側に開いて、飛び出してきた白衣の技術者・・・
何処かで見たことがある、と思ったらトム・クルーズだ。
その後ろから、大笑いをしながらブラッド・ピットもいる。
ボクは、何の不自然さも感じることなく、その部屋に入った。
長く闘病している、兄事する作家を迎えに来たのだ。
部屋の中は、大きな機械が設置されたベッドが数百もあり、夥しい患者が寝ながら透析を受けている。
患者と機械を2本の真っ赤な管がつないでいる。
部屋中に、規則正しい機械音が響いている。
真っ赤に見えるのは血液で、それは透明な管なのだ。
皆の目が、いっせいにボクを見る。
健康すぎるボクは、病院の中ではいつも引け目を感じる。
この気持ちはなんなのだろう。
そんな事を思いながら、作家を探した。
「おーい、ここだよ」
やせ細った作家が、小さく呟いていた。
作家はベッドの上に、胡坐をかいて座っていた。
左手のシャントからは、すでに透析の管は外されていたが、血が滲んでいる。
「シゲルちゃん、俺、死ぬのかなぁ」
作家がボクを凝視して呟いた。
いつものことだ。
ボクもいつもの言葉を呟いた。
「ああ、死にますよ、ボクも、いつかはね」
作家は、いつものように笑ってくれた。
昼飯は、うなぎでも食いたいな・・・
部屋中に、ひつまぶしの匂いが充満した。
(年に何回かは見る病院の夢。この兄事する作家の看病は7年間だった。
週3回の透析もあった。実際のベッド数は15床ほどだったが、決して明るい部屋ではなかったなぁ)