「スタボー!スタボー!」
右サイドから、こっちのヨットの進路に突っ込んで来た80フィートのレース艇のクル―どもが叫んでいる。
すげースピードだ。
風速が15ノットだから、船速が45ノットは優に出ている。
フィンランドのスワン社が作った、世界でも有数のレース艇だ。
突っ込んでくる、そのヨットはスターボード(右舷)に風を受けているから、海の上では権利艇なのだ。
これは国際ルールで、ポート(左舷)に風を受けている船が進路を譲らなければならないのだ。
こんな場合は、左サイドに進路をとって、相手を回避するのだが・・・。
左サイドには小島の岩礁があり、海図の上では、この辺りには海の中に暗礁もある。
暗礁にぶつかれば、キールの深いヨットはひとたまりもなく転覆してしまう。
キールの破損は、ヨットの命とりなのだ。
スピンネーカーセール・トリマーのボクは、ラットを握るスキッパーの指令を待った。
通常ならジャイビングして、対抗してくる相手を避ける。
一か八かを狙うなら、タッキングして相手の進路のすれすれのコースをとる。
スキッパーの指令は、クルーの命がかかっているのだ。
「タックするぞー!」
スキッパーが叫んだ。
ここでのタッキングは、ポートサイドのジムトリムに、一気に責任がかかってくるのだ。
ボクはスピンシートを若いクルーに渡して、ジブセールをスタンバイする。
この、何とも言えない恐怖とスリルを求めて、イタリアまで来たのだ。
「タックー!」
スキッパーの叫びに、ボクは解放されたジブシートを、力の限り引き込む。
ジブセールに風をはらませたら、クランクを力一杯回して、船のスピードをつけるのだ。
ふと前を見ると、対向してきたデッカイ80フィートのレース艇のバウが目の前にあった。
間一髪、相手を避けたのだ。
相手のクル―たちが、頭上から大声でわめいている。
言葉は分からないが、罵詈雑言の限りを尽くしているにちがいない。
「エイケガッソッ!どんなもんだい!」
ボクも覚えたてのイタリア語の汚い言葉を叫んでやった。
ボクたちの進路を奪って、岩礁に激突させようと右サイドに偏って走った来た、そのヨットの前には暗礁がある。
「おーい。あぶねーぞー!ジャイブしろー!」
しかし、遅かった。
ものすごい轟音と共に、80フィート艇が粉々に飛び散った。
大空に舞い揚ったセールが、パラシュートのようにフワフワと落ちて来た。
夥しい程のセールの落下であった。
口に飛び込んできた飛沫がしょっぱかったなぁ。
(やったぁ。久しぶりのヨットレース。イタリアのサルディーニア島での国際レースみたいだ。夢の中のような、進路を奪い合うシーンもレースでは、良くあることだ。
その格闘技にも似た瞬間が、ボクは好きだなぁ)