河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

暗示と象徴…一羽の小鳥の死について。

武蔵野の面影が残る、雑木林を歩いている。

小川のせせらぎには、カルガモの親子が遊んでいる。

水中にはザリガニの子供たちも遊んでいる。

ボクはいつものように、大好きなウオーキングを楽しんでいる。

その時、傍らの小枝にとまっていたムクドリが、ボクの肩に飛んで来た。

黒い羽根を纏って、くちばしと脚はオレンジ色。

頭に白い帽子をかぶった可愛い小鳥。

どうやら仲間外れになって、ボクと一緒に居たいらしい。

でも、無理だよ。

君は野鳥、ボクは君の面倒は見ちゃいけないんだからね。

ボクは未練を残すムクドリを、そっと空に放した。

なぜだか突然、ボクはスタッフの運転する車の助手席にいる。

車は林の中を走っている。

路がカーブになった時、ボクは小さな衝撃を感じて、車を停めさせた。

ドアーを開けて、外を見ると、あのムクドリが死んでいた。

ボクは少し躊躇ったが、駆け寄ってムクドリを手の中に抱きしめた。

ムクドリは、優しい顔つきで眠っているように死んでいた。

乙女の清々しい顔だ。

指先で撫でる身体にも、大人になったばかりの少女の香りが・・・

ボクは両手で彼女を抱きしめ、どうして良いのやら分からない。

いっそ、食べてしまおうか・・・。

そんなことを、想い浮かべて立ちつくしている。

(起きてから、この夢は何を暗示し、何を象徴しようとしたのか考えている。シュールの画家ならば、もっとエロティシズムの象徴のように描くかもしれない。ギリシャ神話の「レダと白鳥」のように。凡人のボクには、本人でさえ分からないけれど。)