河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

疑心に暗鬼が群がる・・・時空を超えて・・・

小雨に煙る山の中腹。

鬱蒼とした森の中に、大きな岩が鎮座している。

神の岩倉。

其処に集まる現代の悪霊たち。

時空を乗り越えて、生者と死者が共有している。

和魂と荒魂が共存している。

いや、共有や共存ではない。

ここでは、その区別がないようなのだ。

生と死の共有は生きることの意味を考えること。

常識や非常識。

日常や非日常。

所詮、その時々の人間が定めた決めごとなど、この悠久の時空の中では虚しい。

真理は自分で掴むもの。

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」

親鸞も人の心理をこう呟いているではないか。

深層の森の中の岩倉を見つめ、独りそんな情念に包まれている。

その時、不意に激痛が右足に走った。

右のふくらはぎがつっちゃった。

いてー!

祟りだぁ!

まだまだ、ボクは修行中なんだなぁと、脚を揉みながら想った。

(こよなく晴れた青空を、悲しと思うせつなさよ・・・長崎の今朝は雨模様。

ひとは死しても、誰かの記憶の中に生きている。歴史を語り継ぐとは、そう言うことだ。時代を語り継ぐのが作家の天命だ。夢から覚めて、そんなことを想っている。

今日は69回目の長崎・原爆の日)