小雨に煙る山の中腹。
鬱蒼とした森の中に、大きな岩が鎮座している。
神の岩倉。
其処に集まる現代の悪霊たち。
時空を乗り越えて、生者と死者が共有している。
和魂と荒魂が共存している。
いや、共有や共存ではない。
ここでは、その区別がないようなのだ。
生と死の共有は生きることの意味を考えること。
常識や非常識。
日常や非日常。
所詮、その時々の人間が定めた決めごとなど、この悠久の時空の中では虚しい。
真理は自分で掴むもの。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」
親鸞も人の心理をこう呟いているではないか。
深層の森の中の岩倉を見つめ、独りそんな情念に包まれている。
その時、不意に激痛が右足に走った。
右のふくらはぎがつっちゃった。
いてー!
祟りだぁ!
まだまだ、ボクは修行中なんだなぁと、脚を揉みながら想った。
(こよなく晴れた青空を、悲しと思うせつなさよ・・・長崎の今朝は雨模様。
ひとは死しても、誰かの記憶の中に生きている。歴史を語り継ぐとは、そう言うことだ。時代を語り継ぐのが作家の天命だ。夢から覚めて、そんなことを想っている。
今日は69回目の長崎・原爆の日)