河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

69年前の夏…ボクは夜空を見つめていた

懐かしい場所だ。

横浜南区の庚台。

高台にあるボクの家の庭は、自給自足の畑になっている。

おばあちゃんが茄子をひとつもいで、手のひらできゅきゅと揉んでボクにくれる。

ボクはいつものように、それにかぶりつく。

フワッと、生茄子のかほりが口中に広がってゆく。

ボクはおばあちゃんに手を引かれて、眼下の横浜の街を見下ろしている。

足元の黄金町、横に伸びる伊勢佐木町、元町、松陰町にはボクの家の店がある。

「いさご豆」と言うお菓子問屋だ。

その先は横浜港だ。

いつの間にか夜になっている。

その時突然のサイレン。

空襲警報だ。

おばあちゃんがボクを抱きしめて、防空壕へ行こうとするが、ボクは嫌だと駄々をこねている。

町の明りが突然消え、真っ暗になる。

全ての明りが消えた頃、大空に爆音が響き渡る。

アメリカ軍の巨大なB29の大編隊がやってくる。

毎日のようにやってくる。

地上からの探照灯が夜空を照らして、B29を探す。

見つけると高射砲を撃つ。

でも、それも一瞬で終わる。

爆撃機の高度までは、弾が届かないのだ。

B29から雨のように落ちてくる焼夷弾が地上に激突し炎を吹き上げる。

真っ暗だった横浜が、真昼のように光って見える。

きれいだ。

ボクはいつもこの燃え盛る町の夜景が見たくて、防空壕に入るのを嫌がったのだ。

暗闇の中で、大人たちが大声を上げながら、走りまわっているのも面白い。

バチーン!

何か、何処かで大きな音がして、ボクの映像フィルムが吹き飛んだ。

(明日は69回目の終戦の日。ボクは目を閉じてうつらうつらすると、この3歳の時の映像フィルムが決まって現れる。何も知らないボクは、アメリカ軍の理不尽な無差別爆撃を美しいと見つめていたのだ。今年は第一次世界大戦から100年、なんだか世相や人心が参戦当時に似てきているのが不気味だなぁ)