河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

行く夏や つくづく惜しいと 蝉がなく

今年の夏は、まだ海に一度も行ってないなぁと。

朧な頭の中で、想いを巡らせていたら。

いつの間にやら、鵠沼海岸の砂丘にいる。

ここは、ボクの故郷の定位置だ。

つくづく惜しい。

つくづく惜しい。

松林の中で、つくつく法師が泣いている。

行く夏が、短すぎて悲しいのだろうか。

己の命の儚さに、泣いているのだろうか。

悲・悲・悲と悲しい声で、かなかな蝉も日暮らし林の隅で泣いている。

夏は楽しい季節と同じ分量だけ、悲しい季節でもあるんだね。

夕焼けの浜辺に佇む女性は、みんな世の中に小さな背中を向けている。

その間を、シオカラトンボが、忙しそうにすり抜けて行く。

早く伴侶を見つけないと、赤トンボに奪われそうな気がして・・・。

暮れなずんで、江の島がシルエットに霞んで行く。

もうじき、静かなボクの海が戻って来るんだね。

夏休みが終われば、ね。

(鵠沼海岸のボクの砂丘はもうない。50年以上も前の景色だ。子供の頃、夏休みの海が嫌いだった。他所から海水浴に大勢きて、ボクの海を汚すから。ボクは9月1日の海が大好きだったなぁ)