河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

おぞましきもの…群れを成すオジサン

何処にでもありそうな、商店街の角を曲がって出くわした。

オジサンたちの群れだった。

みな一応にゆるめのジーンズに黒い皮のベルト。

開襟シャツに野球帽。

メガネをかけて、手にはカメラ。

出っ張った腹にはウエストポーチ。

これが50人もいるのだ。

これだけでも実におぞましい光景だ。

そのおじさんたちが、一斉に数人の若者に説教だの、人生の訓示だのやらかしている。

ボクは逃げるように、その場を後にしたのは、言うまでもない。

ボクは早足で歩きながら考えた。

オジサンが、あの恐ろしいオバサンと違うのは群れないことだ。

ライオンを見ろ、河馬を見ろ、オットセイを見ろ。

動物のオスが群れないのは、オスの本能なのだ。

処が、今見た光景は人間のオスが群れていた。

これが本当の、本能寺の変・・・などと馬鹿なことを呟きながら歩いている。

人間の男が群れないのは、自由とも違う。

独りで、さ迷い歩く放浪の快感が良いのだ。

期待されていないと、自覚している気楽さがいいのだ。

オバサンたちとは人生の哲学が違うのだ。

ああ、実にいやなものを見たものだ。

ボクは、大急ぎでこの街から離れようと、次の角を曲がった。

そこには、大きな、いや、巨大な甘み処の店がった。

ところてん、なんて幟が立っている。

そこに、なんと100人を超すオジサンが、みんなで楽しそうに、あんみつを食べていた。

皆が一斉にボクを手招きした。

ボクは腰が抜けるのを意識しながら、大声をあげて走って逃げたのである。

その自分の叫び声で、目が覚めちゃった。

(最近、社会が高齢化の為か、群れるオジサンたちをしばしば見る。ボクには元々、群れると言う感覚がないので、不思議な想いで見ていることが多い。どうしたら、ボクはあの仲間に入れるのだろうか。まだまだ修行が足りないのかも知れないかな(笑))