河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

小説を書いたが、消去しようと思う・・・

弓のように綺麗な曲線を描く砂浜・・・

鵠沼の海に来ている。

江の島の辺りから、または反対側の茅ヶ崎の辺りから見ると、本当に美しい。

気絶したい程に美しい女性のボディラインのようだ。

ボクの大好きな浜木綿の砂山・・・

そこに大の字に寝転がって、蒼天を見つめている。

夏から書き始めた小説を、何とか書き終えたが、面白くない。

決定的な何かが足りないように思う。

自分が面白くないものを、人に読んでもらおうとは思わない。

何が足りないのだろう・・・

こうして書いた小説が、もう5作品貯まっている。

どうにも、誰にも読ませる気にならないのだ。

読者から金を取る小説には原則があると、出版社の編集人がよく言う。

コンセプトが明確で、タイトルにパンチがあり・・・

コロガリにはサスペンスがほしい。

更にカセとして運命に翻弄される主人公・・・

人として守るべきもののオタカラが潜っていて・・・

主人公のカタキ役が居てほしい・・・。

言葉は違えど、だいたいこんなことを言うのだ。

ばかばかしい・・・

だから、ニッポンの文芸は駄目になったのだ。

こんなマニュアルで良いなら、人間が書くことはない。

もはや、パソコンで創れる時代だ。

ロボットにも面白い作品が書ける近未来がすぐそこだ。

ヒューマノイドロボットは、まもなく誕生する。

出版社も編集人もいらなくなる。

SNSが、全てを凌駕するだろう。

だからこそ、物書きは独創的な感性や感覚が必要なのだ。

ヒューマノイドロボットに負けない感性だ。

じゃ、ボクの作品に独創性はあるか・・・

それを、考えていたら、やっぱり書き直すことにしようと思う。

消去ボタンを押せばいいのだから。

ボクは、大空に人差し指を突き上げて、ボタンをポチっと押した。

(実に現実に即した夢だった。そうなんだよね。日本の文芸人はマニュアルに拘りすぎる。まるでコンビニやファーストフードの店員さんと同じだ。編集者に個性も感性もないのだから、良い作家なんか誕生する訳ない。まぁ、テレビ界も歌の世界も同じだけれどね)