教会の中である。
祭壇に寝転がっているボク・・・
ここは四谷のイグナチオ教会らしい。
窓のステンドグラスに見覚えがある。
新装される前の中世のヨーロッパのような教会だ。
ボクは大学の授業中、しばしばここで昼寝する。
ボクは先ほどから考えている。
ボクはいったい誰なのか?
ボクは何をすべきなのか?
ボクのアイデンティティ・・・自己同一性が分からない。
ボクはボクだと思いこんでいるが、それが違うらしいと気付いた。
今、祭壇に寝転がっていて気付いたのだ。
昨日が今日ではないように、また明日も違うのだから・・・。
ボクも毎日、別人の筈なのだ。
では、今日のボクは誰なのだ?
こんな恰好をしているけれど、身体の全てが男なのか?
心の30%は女じゃないのか?
免疫もあれば寛容もある。
科学や化学の時代だろうが、人間だけは曖昧が一番いい。
ダイバーシティがいい。
性も年齢も価値観も、みんな違っていていい。
道は一本だけではない。
人生はオルタナティブ・・・
自分の歩きたい別の道を歩けばいい。
あなたのアイデンティティは?
・・・と聞かれたら・・・
ジャパニーズと答えよう。
考え方こそ生き型。
それでいい。
それがいい。
(なんだか、思いめぐらせていたことが言葉になって飛び出してきた。イグナチオ教会の想い出。学生の頃、よくあそこで空想したり思索したりいていた。
でも、あの無駄な時間が今のボクになっているのだ。ボクの素敵な青春期)