河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

愛撫するより、恋撫をしようぜ、恋人たちよ!

今、突然、愛撫と言う言葉にこだわっている。

ボクは愛撫をしたことがあるだろうか・・・

ボクは愛撫をされたことがあるだろうか・・・

分からない。

愛撫ってなんだ?

言葉は前から知っているけれど、実際どんなことが愛撫なのだろう。

もしかしたら、愛撫は人によって方法論が違うのかも知れない。

そう思うと、他人の愛撫をいろいろ見てみたいものだ。

人間の性格や性質はみな、違うのだから愛撫だって違うはずだ。

愛撫の様々なやり方の本などあるのだろうか?

ボクは見たことがないぞ。

では、他の人々はどうやって愛撫を覚えたのだろう?

考えれば考えるほど、愛撫は神秘的なものだ。

待てよ・・・

愛撫は人間だけのものではないぞ。

色々な動物だって、愛撫しているじゃないか・・・

小鳥だって・・・

馬だって・・・

猿だって・・・

魚だって・・・

トンボだって・・・

そうか、愛撫は愛するものなら恋人だって親子だっていいんだ。

ちょっと、待て・・・

では、一般的なエロティックな愛撫とそうでない愛撫の違いはなんだ?

そんなこと辞書に書いてない。

学校の先生も教えてくれなかったぞ。

愛し合う人間の心理活動の根本はエロスだ。

心で築く幻想の世界なのだ。

その聖なる男女の営みを、愛撫と言う広義の言葉で括って良いわけがない。

そこで、ボクは提案する。

相手を愛おしく思う営みは、愛撫。

めくるめくようなエロスの営みは、恋撫でどうだろう?

恋撫・・・なかなかいいじゃないか。

でも、何をどうしたらいいのだろうか・・・

夢の中で目を閉じて考えたら、起きちゃったよ(笑)

(久しぶりに爽やかな秋の日の夜明け・・・実に爽やかではない言葉に囲まれて目が覚めた。夢の中のシチュエーションは高知の室戸岬の海で、ボクはカツオ船に乗っていた。魚を釣らずにこんなことを考えているボクなのだった。)