時が流れている。
ボクの目の前を現実が通り過ぎて行く。
さっきまで、ボクも乗っていた現実の流れ・・・
今、立ち止まって見送っている。
ここにいると現実がよく見えるのだ。
ひとりひとりの小さな無責任や・・・
勇気ある人の隠れた行動や・・・
クレイジー扱いの急進的なイノベーターや・・・
音楽が社会と真剣に向き合っていた作品や・・・
近づくとゴミだらけの富士山や・・・
あきらめのため息をつく人々や・・・
星が瞬くのをやめてしまった夜空や・・・
死後の楽園を信じてジハードに向かう若者や・・・
一度決めたら妥協をしない役人や・・・
心的外傷性ストレス障害を楽しんでいる患者や・・・
目標や夢に向かって、突き進まない子供たちや・・・
勤労と蓄財は神の意志だと叫んでる資本主義者や・・・
一流のつもりで金もうけに走る三流人や・・・
温かい情けも、汲めばまだある下町の横丁や・・・
主人が弱虫の為に、よく吠える犬や・・・
ここにいると、本当によく見えるのだ。
現実に疲れたら、こうして休息をとるのがいい。
安息の時間を楽しんだって、誰もずっと先まで行けやしないのだから。
さぁ、もう一度、時の流れとやらに乗るとしよう。
いらないものは、ここに置き去りにして・・・
いざリアルタイムへ!
ボンボヤージュ!
(なんだかセンチメンタルな気分で目が覚めた。なんだか納得できない自己矛盾を寝ながら感じていた。理由は分かる。今日はボクの朋友・三浦和義さんの七回忌なんだ。彼を死なせた無念は、まだボクの心から消えてはいない。)