子供たちが翔んでいる。
森の向こうにある草原で翔んでいる。
さざ波が寄せる砂浜で翔んでいる。
川の淀みの小枝の上で翔んでいる。
学校の運動場の硬い土の上で翔んでいる。
渓谷に架かったつり橋の上で翔んでいる。
ビルや神社や商店街のある、街の上を翔んでいる。
子供たちが、みんな翔んでいる。
女の子も、男の子も、青い瞳も、黒い瞳も、様々な肌色の子供たち・・・
ボクの居る窓からは、地球上の子供たちが見える。
Diversity・・・
子供たちは、いつだってダイバーシティ・・・
自由な志向性も方向性も豊かな多様性のある子供たち・・・
子供たちが持っている翼は、夢をデザインできる。
それを型にして、創造することができる。
子供たちの翼には、素晴らしい発想力がある。
八雲の垣根さえ超える、類まれな想像力がある。
子供たちは、ひとりひとりがメディア・・・
自由自在に夢を発信する。
その翼を今、大人たちが奪っている。
子供の翼をオークションに架ける輩さえいる。
子供の発想に、動機を求める愚を犯す輩もいる。
なぜ、行動に動機付けをする必要があるのか・・・
人生は、それほど意味のあることなのか・・・
大人は自分の人生を振り返ってみるがいい・・・
きっと、辛い、悲しい、寂しい事の連続だったろう。
それは、子供の頃、翼で翔ぶことをやめたからさ・・・
子供たちから、想像力と言う名の翼を奪ってしまった頃から・・・
そう、つまらない時代になったもんだ。
(今、この時代に一番欠けているのは、想像力だ。これさえあれば人間同士のトラブルだって解消できる。
これがあれば、もっともっと世の中は愉しさでいっぱいになる。
ボクは子供の頃、両親から頂いた翼を今でも大切にしている。)