河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

想像と言う名の翼を持った子供たちが・・・

子供たちが翔んでいる。

森の向こうにある草原で翔んでいる。

さざ波が寄せる砂浜で翔んでいる。

川の淀みの小枝の上で翔んでいる。

学校の運動場の硬い土の上で翔んでいる。

渓谷に架かったつり橋の上で翔んでいる。

ビルや神社や商店街のある、街の上を翔んでいる。

子供たちが、みんな翔んでいる。

女の子も、男の子も、青い瞳も、黒い瞳も、様々な肌色の子供たち・・・

ボクの居る窓からは、地球上の子供たちが見える。

Diversity・・・

子供たちは、いつだってダイバーシティ・・・

自由な志向性も方向性も豊かな多様性のある子供たち・・・

子供たちが持っている翼は、夢をデザインできる。

それを型にして、創造することができる。

子供たちの翼には、素晴らしい発想力がある。

八雲の垣根さえ超える、類まれな想像力がある。

子供たちは、ひとりひとりがメディア・・・

自由自在に夢を発信する。

その翼を今、大人たちが奪っている。

子供の翼をオークションに架ける輩さえいる。

子供の発想に、動機を求める愚を犯す輩もいる。

なぜ、行動に動機付けをする必要があるのか・・・

人生は、それほど意味のあることなのか・・・

大人は自分の人生を振り返ってみるがいい・・・

きっと、辛い、悲しい、寂しい事の連続だったろう。

それは、子供の頃、翼で翔ぶことをやめたからさ・・・

子供たちから、想像力と言う名の翼を奪ってしまった頃から・・・

そう、つまらない時代になったもんだ。

(今、この時代に一番欠けているのは、想像力だ。これさえあれば人間同士のトラブルだって解消できる。

これがあれば、もっともっと世の中は愉しさでいっぱいになる。

ボクは子供の頃、両親から頂いた翼を今でも大切にしている。)