河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

夢のオムニバス・・・なんと昭和天皇が現れて・・・

夢は、一晩に数本見るものだ。

ただ、最初の夢は次の夢によって消去され、二本目の夢が上書きされる。

でも、また次の夢によって、再び消去される。

消去された夢を、朝になって思い出すことは不可能に近い。

脳のハードディスクの奥に仕舞いこまれるからだ。

しかし、今朝はこの夢の上書き保存に成功したのだ。

最初の夢・・・

海の家のようなヨシズ張りの中で、みんなで幕の内弁当を広げている。

すると、その時である。

「その、ホタテ…美味しそうですね」

と、ボクの弁当を覗きこんで、声をかけて来た人がいた。

振り返ってみると、その人は・・・

なんとなんと、昭和天皇陛下であった。

「差し上げましょうか・・・」

ボクは、ホタテの焼き物を献上しようとした。

「ああ、大丈夫です」

昭和天皇は、手にした折り詰めをボクに見せてにっこりほほ笑んだ。

 

突然、島倉千代子さんが、ほほ笑みながらボクの前にきた。

「人生いろいろ」の手の振付を見てほしいと言う。

ボクは、そこはこうしてだの、そっちはああしてだの、アドバイスしている。

 

次は、ジョギングをしていた。

市谷から四谷に向かう、坂道である。

後ろから、学生マラソンの選手たちが追い付いてきた。

ボクは、抜かされたくないのでスピードを上げた。

自分でも、驚く速さである。

先行のランナーまで、ごぼう抜きをした。

まさに、ランナーズハイ状態なのだ。

そのまま、選手でもないのにゴールインしてしまった。

ゴールは上智大学のグラウンドだった。

ボクは、その勢いで走り幅跳びにも緊急参加してしまった。

踏切板から飛ぶと、なかなか着地しないのだ。

そして、とんでもない所・・・

藁ぶき民家の土間まで飛んでしまった。

そこには、ボクが主宰する作家集団 RIPOの仲間たちが待っていた。

(朝、結構疲れて目が覚めた。とにかく夜中にメモを取らずに、全ての夢を上書き保存で記憶することにチャレンジしたからだ。実を言うと、島倉千代子の後に、もう一本見た夢があるのだけれど、残念ながら思い出せない。完全に消去されてしまったらしい。)