ドーンパープルとあけぼの色のグラデーションの空・・・
夜明けの一瞬の、儚い美しさ・・・
ボクの大好きなひと時。
森の脇を流れ下る、細い小川・・・
ボクの大切な隠れ家のひとつだ。
そこには真っ赤な弁慶蟹や小鮒や泥鰌がいて、遊び相手をしてくれる。
秋が深まる朝、何処からか決まって黒い蜻蛉(かげろう)が飛んで来る。
空中に居るといったほうがいい。
蜻蛉は本当に陽炎のような存在感・・・
いると思えば居る。
居ないと思えばいない・・・ほどの淡い存在なのだ。
そして、決まって一匹だけ・・・孤独・・・
かげろうは、朝に生れ夕べに死ぬ。
一日限りの命だから、口がない。
食べる必要がないのだ・・・
いにしえの文人たちも、儚さの象徴として見つめていた。
しかし、、今、ボクの前を舞うかのように漂うかげろうに悲壮感はない。
小さな命を楽しむかのように、朝の小川を飛んでいる。
たった一日の命なのに、この凛々しさは・・・
この美麗さは・・・
この愉しげな飛翔は・・・
ボクたちは、ひとの命の儚さを嘆くこともなかろう。
朝に生れ、夕べに死す、この健気な蜻蛉を見るがいい。
己の贅沢なわがままに、羞恥心が湧き上がる。
口舌の徒が、百万回の理屈を唱えても虚しいだけ・・・
生きるとは・・・
たった、二文字・・・
「覚悟」
心身を滅却することなのだ。
(かげろうの幼虫が、あのトラップの名手、蟻地獄だと知ったのは大人になってからだった。あの蜻蛉と蟻地獄・・・将に和と荒・・・善と悪・・・この世に生きるモノの象徴的な存在だな。しかし、理屈っぽい夢だった(笑))