河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

愛の至極は忍ぶ恋、一生忍んで想い死ぬ。

月明かりの中で、パソコンを叩いている。

小説のプロットを書いているのだ。

愛とエロス・・・この矛盾したふたつの行為。

気付かない振りして、馬鹿を装うふたり・・・

重ね合う愛と言う名の心が、また一枚増える。

「忍びあう恋を、つつむ夜霧よ」って、なんで歌謡曲が出てくるのだ。

忍びあう恋・・・

エロスの香りがする。

言葉遊びを駆使した作風にするかな・・・

男の最初の異性は母・・・

母と息子・・・

母のエロス・・・

乳房をくわえた時から、何かを了解し合っている。

そして、旅立ち。

つながりを持たない、流砂の如き異性・・・

どんな感情で、結びあえるのか。

悲しみを共有できるのか。

美しさの影の、汚さや醜さや寂しさを共有できるのか。

愉しげな顔をした写真・・・

それは、いたましい事件の数日前のもの・・・

そんな書き出しの小説があったなぁ。

三島由紀夫だったと思う。

失われた愛の復活がテーマだった。

愛の復活を他人に願ったのだ。

思い出した。

「獣の戯れ」だ。

美しい愛の背中には獣が存在している。

いやだな。

至極の愛は、忍ぶ恋なんだ。

想いを遂げずに、一生忍んで想い死ぬ・・・

究極のエロスは、想いの中でいい。

そんな物語にしよう。

(目が覚めて、結局、小説のプロットなど出来てなかった。ボクに愛の小説は無理だよ。書くより読んでいるほうが楽しいもの。「愛の戯れ」もう一度、読んでみようかな。)