伊豆半島が伊東の辺りまで、くっきりと見えている。
小田原の街なみの上空には冠雪の富士山が、天空に届いている。
箱根の連山から、左へパーンすると天城の山々が香るように美しい。
正面の海面の彼方には、大島から利島、式根島あたりまでの島影も望める。
相模湾では、年に3回ほどしかない絶景・・・
驚くほど見事な風景の中にボクはいる。
この海で育ったボクは、秋のこの風景が大好きだ。
潮風の中に、フジツボとボラのなむら(群れ)の匂いがした。
辺りを見回すと、茅ヶ崎港の沖合にいる。
烏帽子岩の先、3本ある定置網の真ん中に舫っている。
伝馬船で掴って、鯛を釣っているのだ。
船の艫(とも)にはカズさんがいる。
爺さんで、少し眼が悪いけれどボクと仲の良い漁師だ。
ボクは舳(みよし)で胡坐をかき、手バネ竿でシャクリを繰り返す。
餌はサイマキだ。
カズさんは、手釣りのオトシ釣りだ。
いつ来るとも知れない鯛のアタリ・・・
それを待つ、無言の男が二人・・・
頭の中にはなにもない。
全くの空白なのだ。
こんな刹那がボクは大好きで、この海に来る。
その時、気が付いた。
カズさんは確か、死んだはずだ。
ある朝、ひとりで漁に出て伝馬船の上で眠るように死んでいたと聞いた。
驚いて、艫を見るとカズさんはいなかった。
そうだよな・・・
さっきから、ボクの手バネの竿に小さな魚信が来る・・・
そうだよな・・・
カズさんが、海の中でいたずらしてんだよね。
そうだよな・・・。
(今頃の相模の海はきっとこんな感じだろう。カズさんが死んでから茅ケ崎の鯛釣りはやっていない。鯛を釣るより、カズさんと伝馬船で沖に漂うことが楽しかったのだ。そのカズさんに会えた。夢の想念は、こうして時空を自在に行きつ戻りつ出来るのだ。)