河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

外道もまた、ひとつの生き方なんだ・・・

倉庫が連なり、重油とドブ川の匂いがする・・・

錆びついたブイの鎖にカモメが数羽とまっている。

波止場だ。

なんだか、東映の極道の映画の舞台のようだと思っていたら・・・

ほんとうに極道たちがいた。

黒い義理服を着た集団である。

「おやっさん、言うとったるがのう、あんたはワシらが担いどる神輿やないの。

組がここまで大きうなるのに、誰が血ぃ流しとるんの。

神輿が勝手に歩ける、言うんなら歩いてみないや。のう!」

親分らしき男に向かって、若い渡世人が啖呵を切っている。

気がついたら、その若い渡世人はボク・・・いや、ワイやないか・・・

やばい、えらいこと言ってしまった。

親分…(友人のYさんに似ている)は、じっとワイの顔を睨みつけている。

若い衆はみな、固唾をのんでいる。

誰かが、唾を飲み込む音が聞こえる。

ことここに至っては、ボク…いやワイはもう他の言葉を選べない。

切羽詰まった激情が、最後の言葉を発した。

「おやっさん、あんたのような、つまらん連中が上に立つから、下の者が苦労するんや。どんだけ、無駄な血ぃ流したと思ってるん」

親分は、ワイを睨みつけていた眼を伏せ、その場を立ち去って行った。

音楽が欲しい。

このラストシーンの曲には「マックザナイフ」がいい。

義理服の若い衆たちが、ジーンズや綿パンに衣装替えして踊っている。

「ワイたちは、世間の外道や。」

「けど、外道もいなけりゃ悪い親父がはびこるんや」

「みなの衆、立派な外道になりなはれや」

なぜだか、ワイはギターを背負って波止場を去っていく。

なんじゃこりゃ・・・

小林 旭か・・・

と思ったら、目が覚めたのであった。

(ボクは本当に外道が好きで、数年前、年賀状に「外道」とだけ書いたことがある。

外道とは、本来は仏教以外の道を説く人の事を言う言葉だ。今の世の中、もっと外道がいてほしい。ジャーナリストなど本来は外道なのだが、なんだかねぇ・・・・)