河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

拾った500円玉からの発想・・・

コンビニに居る。

ふと…足元を見るとコインが落ちている。

拾って見たら100円だった。

更に…床を見ると・・・

まだ…落ちているではないか。

ボクはしゃがみ込んで、そのコインを拾おうとした。

コンビニの床は、ウッドのタイル張りのようになっていて、その角がめくれ上がり、

隙間にコインが挟まっているのだ。

指で摘まんで引き抜くと、500年玉だった。

おー!やったぜ!

もっと…良く見るとタイル状の角の隙間に、びっしりとコインが挟まっているのだ。

すべて500円玉である。

ボクは、夢中で拾い集めた。

そして・・・

ふと…

不図…

ふと…考えた。

これをポケットに入れたら犯罪じゃんかと・・・

ボクに、ふと…の感覚があってよかった。

ふと…は大事な感性だ。

人間は、ふと…思って気付くのだ。

ふと…のない奴は人生で失敗をやらかす。

うっかり弱い虫を殺してしまってから、ふと…思う。

殺すことはなかったはずだと・・・

この、ふと…が大切なんだ。

大人は子供たちに、このふと…思うことを教えるべきだ。

先生もそうだ。

道徳教育も良いけれど、教育に大切なのは、こういうことなんだ。

ふと…した過ちがなくなるだけで、世の中が変わるのだ。

ボクは、拾い集めた500円玉を見つめて、独りそう想うのであった。

(ふと…漢字では不図と書く。これは当て字だから、中国から伝わった言葉でも概念でもない。我が国固有のものだ。元々は、ふっと想う、思い付くといったことだろう。ふっと…は息を吐くのではなく、吸うときの音だね。ふっと…吐くのはため息だから。)