河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

何処へたどり着くやら、ローリングストーン・・・

波の背中に乗って遊んでいる。

子供の頃から、独りで波と遊ぶのが好きだった。

沖からやって来た波が、浜辺で砕け散る少し前・・・、

波は必ず、柔らかく盛り上がり、ボクの身体を包み込む。

そう、今がその時だ。

ボクの身体は、まるで宇宙空間のように、ふんわり天空に浮かぶ。

ボクは、安心して目を閉じて、束の間のまどろみに委ねる。

ある時は、キスリングの描く「横たわる裸婦」に抱きかかえられるように・・・

ある時は、トゥルイユが描く「オ-・カルカッタ」の裸婦の背にもたれかかるように・・・

波の背は、美と幻想と陶酔のボクの遊園地。

都会に居る時は、理性という意識の服にひっそりと隠れて・・・

時にはボクにさえ、その存在を忘れられているエロス・・・

波の背では、意識の束縛をぶった切って、のびのびと自由自在に空想の中に身を置ける。

ボクは、子供の時から、こうして波に揺られて空想するのが大好きだった。

波の背は、何処へでもボクを誘ってくれた。

そして今、ボクはまだ波の背に抱かれて、空想の宇宙に遊んでいられる。

この世界の中では、ボクは単なる石ころに過ぎない。

でも、石ころにもポテンシャルはある。

何処へでも、自在に転がって行ける石ころなんだ。

ローリングストーン・・・

ボクは何処へたどり着くのやら・・・

波の背に揺られて、空想の遊園地にもうしばらくいようかな・・・

(エロスが意識の呪縛から解放されるのは、夢の中だ。夢の中のエロスは自由自在に転げ回る。まさにローリングストーン・・・。そんな夢を見た朝は、小さな罪の懺悔とスリリングな快感に包まれている。そう、今日の朝のように・・・)