河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

時は、ひとを置き去りにして走って行く・・・

何かが、ボクの傍らをすり抜けて行く。

子供時代から、時折それを感じていた。

そんな感覚包まれた時は、決まって寂しさと切なさと焦燥感に襲われる。

だから、そんな時、ボクは走った。

走って、すり抜けて行ったものに追い付き、追い越してきた。

でも、追い付けないものも、沢山あった。

それは、大人になってからも同じだ。

その、ボクの傍らをすり抜け、追い越して行くものが、「時」だということが、

ある日、分かった。

そして、今でも・・・。

時に追い越され、そこに残るものがある。

それは、ノスタルジーという時の化石だ。

想い出と言う、時の絵画だ。

ボクは、想う。

まだ、化石や絵画のコレクターにはなりたくはないと・・・。

月日に関守りなしと言う。

関所を設けても、時と言う名の月日は、傍らをすり抜けて行く。

月日は百代の過客だと、松尾芭蕉も呟いていた。

恋人たちの傍らさえ、時は二人を追い越して行く。

そして、ブロークンハート・・・

追い越して行った時を引き戻したいと思う刹那だ。

でも、その願望は大抵、叶うことはない。

またひとつ、ボクの後ろから時が迫って来た。

お前さんには抜かれないよ。

ボクは走りだす。

(将に邯鄲{かんたん}の夢だった。月日は太陽と月・・・。そこに時が生れている。ボクたちは、その時の流れに生きている。上手く時の流れに乗らないと、次々と追い越されてしまうのだ。)