河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

60年前の横浜、多くの夢と幻想・・・

いつか見たことのある町にいる。

一六地蔵、チャーシュウが美味い肉屋、美空ひばりの歌が聞こえるレコード屋・・・

そして、豆屋「いさご豆」は…ボクの家だ。

すると、この町は伊勢佐木町7丁目。

通りには、ほとんど車が走っていない。

自転車がスピードを出して行き交う。

気をつけないと、子供は自転車にはねられてしまう。

突然、昼間なのにヘッドライトを点け、クラクションを鳴らしながらジープがやって来た。

進駐軍のアメリカの兵隊さんが乗っている。

ボクは、ジープの後ろに走り寄る。

「ハングリー!」

「プリーズ・ミー!」

叫びながら走る子供たち。

進駐軍の兵隊さんは、子供たちにチョコレートやチュウインガムをバラバラと投げた。

それを、ボクたちは拾うのだ。

「サンキュウー!」

ハーシーのチョコレートと、チュウインガム・・・

駄菓子しか知らないボクたちには、最高に幸せなひと時なのだった。

60年前・・・

戦禍で荒れ果てた町には、アメリカの物質的な生活への夢と幻想があった。

新しい時代が始まる予感・・・

ボクは、拾い上げたハーシーの銀紙をむいて板チョコをがぶり・・・

すごく大きな、幸せな夢の味がする・・・

その時だった。

突然のけたたましい騒音に、振り返ると・・・

そこには・・・現在の横浜の街並みが・・・

ビルが横丁に覆いかぶさり・・・

車がびっしりと路上を埋めつくし、下を向いて歩く子供たち・・・

大人の顔は、大きなクエスチョンマークの仮面をかぶっている。

夢なき焦土・希望なき焦土・青空のない焦土が目の前にあった。

ボクの60年の歴史はなんだったのか・・・

個人の自由な時代から、組織や権力ばかりが肥大して、個人が小さく小さくなって行く現実・・・

知識人は名ばかりで、誰も闘おうとはしない。

ボクは、伊勢佐木町のほんの少しの青空を見つめるばかりだった。

(ボクの生れた横浜は、貨物船の油の匂いと、カモメの声と進駐軍の昼間のヘッドライト・・・そして美空ひばりの「東京キッド」・・・

右のポッケにやぁ夢がある 左のポッケにやぁチュウインガム・・・

夢が連れて行ってくれた60年前・・・なんだか切なかったな)