大好きなシコイワシの目刺しを焼きながら、ふと想う。
イワシにも幸せを感じる時が、あるのだろうか?
イワシは大海原で毎日、毎日、サバやカツオやブリに追われて生活している。
時には、こうして人間に捕まって食われる。
たった一年の寿命なのに、いつも追われる恐怖ばかりだ。
神は、何のためにイワシという、まるで他魚の餌になるだけの生物を造形したのだろう。
生態学的には、地球上には無駄な生物はいない。
何千、何億という種がいるが、すべて意味のある存在なのだ・・・
と、ボクは学んだ。
膨大な種類があることに、意味があるのだ。
例えば、アフリカの草原に馬とシマ馬がいる。
それをライオンやヒョウが食べる。
ある日、馬が毒のある草を食べて全滅してしまう。
しかし、シマ馬には、その草を食べる習慣がない。
馬は居なくなっても、シマ馬がいる。
だから、ライオンやヒョウは生きていられる。
彼らにとって、食べるのは馬でもシマ馬でもいいのだから・・・
種が保てるのだ。
これをエコロジカル・ニッチと言う。
生態学的な棲み分けなのだ。
地球上から生物が、滅ばないシステムなのだ。
その為には、何千、何億の種が必要なのだ。
そうか、だからイワシにも生きている意味があるはずだな。
その彼らの幸せに、ボクが気付かないだけなんだ。
「いただきます」
ボクはシコイワシの命を、ありがたく頂いた。
美味かった。
(エコロジカル・ニッチ・・・生態学的棲み分け。これは人間社会だけでも当てはまるな。危険に際して、群れの行動に逆らう奴が必ずいるものだ。でも、そいつだけが助かることだってある。人類の多様性・Diversity・・・時代は確かにこちらに傾いている。)