人は自分をテロリストだとは言わないだろう。
そう思ってもいない。
テロリストは、対岸に敵対する人間たちが使う呼称なのだ。
特にメディアが好んで使う。
そう決めつける。
テロリストになりたい奴などいない。
彼らは無意識・無差別・無分別ではないはずだ。
彼らにとって、それは聖なる闘いなのだと思いたい。
でなければ、先の戦争に於いての神風特攻隊も、人間魚雷もテロリストになってしまう。
フランスで起きた事件を大きく報道している新聞を見ながら、そう考えを巡らせている。
メディアはなぜ、結果ばかりを報道する・・・
なぜ、原因を追及しようとはしないのだろう・・・
フランスで起きた、事件の構図はすべて現代社会に当てはまる・・・
日本でも、時に若者が起こす暴走・暴動行為・・・
会社や学校内での、争いごと・・・
みんな同じではないか・・・
相手の立場を認めない・・・
ただ、その一点に尽きるように想うのだ。
人は誰でも論理的に生きている訳ではない。
医学や科学は、人間が論理的に生きているように思わせているのに過ぎない。
明日の事など、誰にも分からない。
分かった振りをしているだけなのだ。
でも、社会って奴は論理で通そうとする。
その矛盾が、人間同士の問題を起こすのだ。
人には、だれでも突然変異する可能性がある・・・
明日の事など分からない・・・
だから、今日もボクは生きている。
浅い眠りのなかで、そんな事を想い巡らせていた。
(そうか、今日は成人の日か。新成人が一か所に集められて、つまらない大人の論理的教訓を聞かされて、騒げば怒られて・・・。違うよね。成人の日は大人に成長させてくれた親や世の中に感謝するお礼の日だろ。なんで集団でやるのかが疑問?)