渡りそびれたのか、冷たい小川に鴨が泳ぐ。
病葉をくわえ、虚空を見つめる。
鴨に問う・・・
「君の夢はなあに?」
鴨は黙して語らない。
「将来の夢がないのかい?」
鴨は小さな声で呟いた。
「・・・小さい頃には、五つもあったけど・・・」
鴨が居なくなった小川に、言葉が流れてくる。
「大丈夫」
「やばい」
「ウケる」
「自己中」
「キレる」
それらの言葉も病葉に変身する。
言論の自由という病葉は、いつでも小川に流れている。
でも、言葉は流れ、通り過ぎて行くだけ・・・
言論の自由を振りかざし、皆が同じ方向を向いている異様・・・
そして、誰も立ち止まらない。
ただ、流れて行くだけ・・・
この小川には、言論の自由があるが、行動の不自由もある。
立ち止まる勇気を持とうぜ!
言葉はもういいから、行動しようぜ!
政治家も評論家も有識者も先生もマスメディアも・・・
もう言論の自由は分かったから、行動しようぜ!
でも、いつからこんなにも行動が不自由な国になってしまったのだろう?
行動が凍りついて、街の谷を今日も流れて行く。
(言論の自由と言いながら、多数の意見だけがまかり通る。フランスの事件以後、ますますその機運が助長されている。マイノリティの行動が消されている。
これでDiversityの時代だと言えるのだろうか・・・)