コウモリが飛ぶ薄墨色の空間・・・
幻想に抱かれた裸婦たちのエクスタシィ・・・
鋭い視線で咆哮する黒き豹・・・
そして、鎌首を振る錦へび・・・
このエロスの世界をコンダクトするオペラ座の怪人・・・
シュールな画家、クロヴィス・トゥルイユの描く極限のようだ。
ボクはそれを原稿用紙に書き表現しようとしている。
映像はアートとして浮かび上がる。
しかし、文字はなかなかアートの作品になりはしない。
ポルノを書くのではない。
アートとしてのエクスタシィを書きたいのだ。
アートとしてのエクスタシィは、幻想の中にのみ存在する。
エロスは人間の命の根源・・・
これは、何人も否定できないだろう。
エロティシズムの極みは、死の領域・・・
エクスタシィと死の持つ永続性・・・
エクスタシィの頂点は死に繋がる・・・
なぜなら、死は生きることの頂点に存在するものだから・・・
ギリシャ神話やローマ神話からの絵画にも、しばしば描かれている。
そして、古事記にも明確に記述されている。
イザナギとイザナミの出会い・・・
オノコロ島の天の御柱を巡っての刹那的なエロティシズム・・・
イザナミの死に至るようなエクスタシィの表情・・・
これが、古文書から浮かび上がってくる。
古事記は将に、アートな文学作品なのだ。
時間を超越したエロティシズムの空間を書いてみたいと痛切に想う。
(なんだか、二日続けて夢の中に裸婦が登場してきた(笑)。それも西洋の肉感的な大柄な女性たちばかりだ。これは何を意味するのか?欲求不満?断じて違うぞ!
ボクはポルノではない耽美のエロスを文字作品にしたいのだ。つまりアートなのだ。
真面目なのだ(笑))