河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

その女子学生は、素敵な男子だった・・・

昼下がりの郊外の電車に乗っている。

乗客はまばらだ。

駅に停まると、向かいの席に女子学生が座った。

うつらうつらしていたボクは、少女の足元を見る。

黒いローファーのシューズ・・・

白いソックス・・・

形の良い脚・・・

制服・・・

絵に描いたように清楚なJKスタイル。

でも、顔をみてボクは目を見張った。

女子学生は男の子だった。

でも、その学生は様々な視線にまるで怯んだ様子もない。

性同一性障害・・・

ボクに浮かんだ言葉・・・

でも、何処が?何が障害なのだろう?

障害と言う言葉には、明らかな病と言うニュアンスがある。

ひとりの人間の生の不一致は、はたして障害なのか?

いや、違う。

ボクは断言できる。

大体、現代では人間を男性と女性に大別するが、そこに無理があるのだ。

性なんてものはグラデーションで、みんな内在する性の比率は違う。

80%遺伝子の男性もいれば、20%遺伝子の女性もいるのだ。

大体、遺伝子の仕組みだって分かっちゃいないのが医学の世界だ。

人間なんて地球上にまだ60万年しか生きていない。

新参者だ。

進化の途中もいいところだ。

だから男の身体におっぱいだってあるし、子宮も残っている。

つまりボクたちの先祖は、両性具有の生物なのだ。

この流れを見れば、性同一性障害と言う言葉が如何に人間味のない冷たい学者センセーが作ったものだと分かる。

障害なんかではない。

それを、そのまま垂れ流すマスコミも何をか況や・・・だな。

なんて・・・美しいイケメン学生を見つめながら、呟くボクなのであった。

(東京の渋谷区が同性婚に結婚相当証明書を出すことがニュースになっていた。

とても素晴らしい自治体の快挙だ。ホモやレスビアンなど性的少数者は20人に一人だと言われている。これはもはやマイノリティではない。男と女の壁を取り払う時代がきたのかな・・・)