昼下がりの郊外の電車に乗っている。
乗客はまばらだ。
駅に停まると、向かいの席に女子学生が座った。
うつらうつらしていたボクは、少女の足元を見る。
黒いローファーのシューズ・・・
白いソックス・・・
形の良い脚・・・
制服・・・
絵に描いたように清楚なJKスタイル。
でも、顔をみてボクは目を見張った。
女子学生は男の子だった。
でも、その学生は様々な視線にまるで怯んだ様子もない。
性同一性障害・・・
ボクに浮かんだ言葉・・・
でも、何処が?何が障害なのだろう?
障害と言う言葉には、明らかな病と言うニュアンスがある。
ひとりの人間の生の不一致は、はたして障害なのか?
いや、違う。
ボクは断言できる。
大体、現代では人間を男性と女性に大別するが、そこに無理があるのだ。
性なんてものはグラデーションで、みんな内在する性の比率は違う。
80%遺伝子の男性もいれば、20%遺伝子の女性もいるのだ。
大体、遺伝子の仕組みだって分かっちゃいないのが医学の世界だ。
人間なんて地球上にまだ60万年しか生きていない。
新参者だ。
進化の途中もいいところだ。
だから男の身体におっぱいだってあるし、子宮も残っている。
つまりボクたちの先祖は、両性具有の生物なのだ。
この流れを見れば、性同一性障害と言う言葉が如何に人間味のない冷たい学者センセーが作ったものだと分かる。
障害なんかではない。
それを、そのまま垂れ流すマスコミも何をか況や・・・だな。
なんて・・・美しいイケメン学生を見つめながら、呟くボクなのであった。
(東京の渋谷区が同性婚に結婚相当証明書を出すことがニュースになっていた。
とても素晴らしい自治体の快挙だ。ホモやレスビアンなど性的少数者は20人に一人だと言われている。これはもはやマイノリティではない。男と女の壁を取り払う時代がきたのかな・・・)