不図、気がつくと何時か何処かで見たような景色の中にいる。
いつもの緑に覆われた岸辺に立っている。
その下は川ではなく、高速道路になっている。
これもデジャブだ。
高速道路には、車ではなく人間たちが走っている。
全て大人の背丈、男も女もいる。
かなり大勢が車のように、渋滞しながら走っている。
ボクの目が俯瞰のルーズショットから、ズームインする。
ひとりひとりが鮮明に見える。
そして、更に見えて来た。
どの人間たちも、自分の意思で走っていないのだ。
どの顔も、能面のように表情を変えない。
ただ、時の流れに身を任せているだけだ。
朝のラッシュアワーの満員電車の中と同じなのだ。
ゴミの知識とクズのスキルを持った人間たちばかりのようだ。
自分だけの予断と偏見を膨らませた知識で頭がいっぱいなのだ。
だから、他人を理解しようとはしない。
自分のトリビアな知識で、全てを判断してしまう。
つまり、岸辺の下を流れてている大人たちは、まだ子供のままなのだ。
現代の子供の頭は、予断と偏見とトリビアな知識で溢れかえっている。
こんなものは、ゴミのようなものなのだ。
子供たちは、このゴミを必死に守ろうとする。
ボクも子供の頃は、そうだったもの。
でもいつか、訓練や教養を積み重ねていない能力は、生きる為の技能にはならないことに気がつく。
だからスキルアップに励むのだ。
これに気がついた子供を、社会は大人と呼ぶ。
ゴミの知識とクズのスキルを増やしているだけの子供は、例え50、60歳過ぎても、
大人とは思わない。
少なくともボクは・・・ね。
(もう3月だ。春だ。出発の季節だ。そんな潜在的な意識での夢だろうか。お得意の
説教臭いボクのお一人様独演会(笑)だった。でも、嘘ではない。これはほとんどボクの本心だな。)