狭霧かすむ小高い丘の上に一本の山桜
そこに道行のふたつの影…
純白の着物をまとった男と女
それは死の装束。
女の顔は何処までも白く、死に化粧の紅がほほ笑んでいる。
ふたりはゆっくりと桜の樹の下に立つ。
向かい合う顔には優しい微笑みが…
天網恢恢疎にして漏らさず
この、ひとの世のしがらみを振りほどき、
育んだ愛を成就するために死を迎えるふたり・・・
究極の愛の終わりは、死をもって他にはない。
これは自然界の掟だ。
魚も虫も花さえも、愛の交尾をもって命の終わりとする。
いかなる愛も必ず終わる。
そこに死の極みなければ・・・
死こそ愛の継続なのだから。
今、白き衣装の二人の影がゆっくりと交差した。
白い生地が真っ赤に染まって行く。
ふたつの影がひとつになり、山桜が赤く咲いた。
近松の舞台を見つめるように、ボクは呆然と立ちすくんでいる。
愛のない男には、どんな終わりがあるのだろう・・・
(最近、心中という言葉が死語に近くなったと、寝る前に考えていた。それでも現代は愛をテーマの歌も文学もある。いったい男と女に心中なくして何が究極の愛なのか?
近松門左衛門も???こんな感じじゃないだろうか(笑))