河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

心中とは究極の愛…熱き情念の終焉・・・

狭霧かすむ小高い丘の上に一本の山桜

そこに道行のふたつの影…

純白の着物をまとった男と女

それは死の装束。

女の顔は何処までも白く、死に化粧の紅がほほ笑んでいる。

ふたりはゆっくりと桜の樹の下に立つ。

向かい合う顔には優しい微笑みが…

天網恢恢疎にして漏らさず

この、ひとの世のしがらみを振りほどき、

育んだ愛を成就するために死を迎えるふたり・・・

究極の愛の終わりは、死をもって他にはない。

これは自然界の掟だ。

魚も虫も花さえも、愛の交尾をもって命の終わりとする。

いかなる愛も必ず終わる。

そこに死の極みなければ・・・

死こそ愛の継続なのだから。

今、白き衣装の二人の影がゆっくりと交差した。

白い生地が真っ赤に染まって行く。

ふたつの影がひとつになり、山桜が赤く咲いた。

近松の舞台を見つめるように、ボクは呆然と立ちすくんでいる。

愛のない男には、どんな終わりがあるのだろう・・・

(最近、心中という言葉が死語に近くなったと、寝る前に考えていた。それでも現代は愛をテーマの歌も文学もある。いったい男と女に心中なくして何が究極の愛なのか?

近松門左衛門も???こんな感じじゃないだろうか(笑))