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河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

白痴美…愛を拒否する愛の詩人

テレビ番組の企画会議で、発言している。

ドキュメント・バラエティのコンテンツが次々と浮かぶ。

そのひとつ、美しいヌード映像を最高のカメラマンを使ってアルバムにしようと提案した。

なぜなら、いつの間にかテレビから女性の美しいヌードが消えてしまった。

おバカなテレビ屋たちが、自主規制とかでやめたのだ。

だからテレビは文化に昇華しないのだ。

文化やアートに自主規制の衣はいらない。

エロスの極致を番組にする。

ドストエフスキーの「白痴」

それを映像化した黒澤 明監督

白痴美の原 節子さん。

白痴美の女は、無表情・・・

知性のない美貌・・・

そんな女に逢いたい。

男の…いや、ボクの求めている女性だ。

逃げ惑う群衆から離れ、

燃え盛る炎の中で、ボクは女を抱きしめる。

白痴の女はボクの肩にすがりつく。

「怖くはないか」

女がコクリとひとつうなずく。

今こそ、人間を抱きしめている・・・

ボクは思った。

自分自身に無限の誇りを持った、この狂いそうな感動・・・

まさに坂口安吾の「白痴」の世界だ。

女は白痴美の人がいい。

ポール・デルヴォーの「森の精」の裸婦だって…

ルイ・アントワーヌの「淫蕩な人」の裸婦だって…

シュールな画家の描く裸婦はみな白痴美。

エロスの絶頂こそ、将に白痴美の極みなのだ。

白痴美の女こそ、愛を拒否する愛の詩人なのだ。

(アホなマスコミの自主規制で思い出したが、「白痴」も差別用語になっているらしい。だから、「重度精神遅滞者」とマスコミは言う。馬鹿げている。差別とはその意識を持つ人間のことであって、言葉ではない。「白痴美」なんと美しい響きを持った言葉じゃないか!)