河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

「誰がために鐘はなる」を読んだ結果が・・・

不毛な砂漠の片隅にあるオアシス…

遠くから、絶えることのない銃声が聞こえる

子供たちが毛布を枕に眠っている。

この子たちは、どんな夢を見ているのだろう…

大人への憎悪か…

愛への憧れだろうか…

ボクは戦争孤児には、ならなかったけれど、その状況にはあった。

確かに大人を憎悪していた

平和と言う安っぽい括り方に嫌悪する学生時代だった

日本国憲法 第9条の基本理念にさえ、疑問を持っていた

カントの哲学に惹かれた

彼は言った。

「隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとって自然な状態ではない。

お互いの敵意のわだかまりこそ自然なのだ」と・・・

カントの著書「永遠平和のために」は国連を生み出す元になったのだ。

人間が人間に向ける憎悪…

憎悪の裏にある深い愛情…

それこそがエロスなのだ。

エロスのエネルギーが闘争のエネルギー

個人の闘争が、集団の闘争になれば戦争だ。

戦争とは、実は人間の破壊そのものなのだ。

エロスの圧迫だ。

平和とは、子供たちや恋人たちや家族の安全の保障であって、国同士の保障ではない。

平和の鐘を鳴らすのは…あなた…って、和田アキ子になっちゃったぜ(笑)

(どうも最近、寝る間際にパラパラ読む本に影響される。

昨晩は「誰がために鐘はなる」 アーネスト・ヘミングウェイ

これはスペインの内乱が舞台だけれど、人間が人間に向ける憎悪と愛情がテーマだ。

もっとも巨匠は解決出来ずに自死しちゃったけれどね。)