河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

それを人々は狂気と片付けるが・・・

音のない時間にいる

薄墨を引いたような幻想的な黒白絵の空間

ここは奥行きのない二次元の街

一本の赤く流れる川がある

水流は動脈の如くに勢いを増している

橋がある

どちらの河岸に渡ろうか

左岸は、よろこび、楽しみ、寛容…全てがポジティブな街

右岸は、かなしみ、くるしみ、免疫…全てがネガティブな村

子供たちは皆、左岸の街に住んでいる

多くの大人たちは皆、右岸に住みついてしまった

橋の上で左岸に向かって、招いている人たちがいる

哲学者や様々な分野の学者たちだ

彼らはポジティブ思考を否定する

ポジティブ思考には自分たちの存在意義がないからだ

様々な問題をネガティブ思考で言いくるめ、自分たちの村に取り込もうとする

それでなければ、哲学者のアイデンティティはないからだ

しかし今、時代は変化している

急激なイノベーションが必要なのだ

易しい事柄や文言を、あえて難しいく表現する哲学者や様々な学者の時代ではない

生きることは簡単だ

楽しければいい

苦しむ必要もない

苦楽は紙一重、只の言葉遊びに過ぎない

生きることは、遊び呆けることでいい

それを人々は狂気と片付けるが…

それだけでいい

人生の左岸から見つめる川の水は、いつも清流なんだ。

 

(本屋の店先には、人生の過ごし方…人間としての在り方…みたいなバカバカしい本が

林立している。学者や哲学者や評論家が自分の生活の糧に書いたモノばかりだ。

そんな奴に限って、人生を苦しんでいるに違いないと思う(笑)この世にありがたく生を受けたのだから、楽しさだけでいい。苦しいと決めつけるのは、いつも自分自自身だけだもの。)