河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

宮本武蔵に更なる奥義を・・・

坂東太郎・大利根の流れは滔々と…

十六夜の月光が矢のように射しこんでいる

将に値千金の夜半である

どこで鳴らすか鐘の音が陰に籠って物悲しく

それに呼応して鋭いヨシキリの声

河原の葦の湿原から、それらにも増して鋭利な気合い一閃

そこにはざんばら髪の浪人侍がいた

穏やかな面構えにも眼光は月光よりも鋭い

彼は七枚合わせの金重の鯉口を切った

刃の閃光が月光さえ蔑ろにした

この剣構えは二天一流

宮本武蔵だ

彼は金重を抜き放つと…

「千日の稽古を鍛とし…

万日の稽古を練とす」

と言っているではないか…

武蔵が剣道の極意を端的に表した五輪書そのものだ

これはボクがずっとこの35年間、実践している彼の教えだ

万日の稽古が練…

それ、実践してます

師匠、もっと奥義を、奥義を…

と叫んだら、自分の声で目が覚めちゃった(笑)

(ボクには師匠と呼ぶ人はいない。強いて挙げれば宮本武蔵かも知れない。

特に五輪書の「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」の言霊は忘れたことがない。万日とは10年単位の稽古だ。何事も10年続けると、千日とは格段に違う質の高い技が身についているものだ。ボクは遊びも仕事も全て武蔵流なのだ。)