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河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

生きる力は、如何に死を感じているかにあるのかな

鎌倉の天園から眺望する相模灘は広い

小学校から高校時代まで、この辺りの山並みはボクの遊び場だった

小春日和の中、建長寺の半僧坊へ下りながら

ふと、川端康成を想い浮かべた

かの文豪は何故に自死したのだろうかと…

「人間は生より死について知っているような気がするから、生きていられるのである」

川端の「末期の眼」にある一節だ

好きな言葉として、ボクの言葉綴り書きにメモしてある

逆説的な言い回しではあるが

そう言うように死を感じる方が、生きるモチベーションになるのだろう

川端文学には、絶えず死の感覚が一本の糸のように描かれている

「伊豆の踊子」「眠れる美女」「山の音」「みずうみ」「名人」「雪国」・・・

死の感覚を変幻自在に描写している

川端自身が生き続ける証明の為のように…

川端文学には、しばしば明らかに処女であろうと思える少女が登場する

処女を犯せば生命的な危うさがある

賛美と破壊は二律背反

そこに川端文学がエロスの輝きを増す

生きる者には、死は一回だけ与えられる

誰も死そのものを見ることは出来ないのだ

きっとかの文豪は、それを見て見たい衝動が抑えきれなかったのだろう

ボクはひとり合点して、長い階段を下りている

(川端作品の見事な文体、文脈を感じながらも、あの不思議な活き活きしたエロスはなんだろうと思っている。それが死の意識なのだろうと形而上のボクが呟いた。うん、なるほどねと、形而下のボクが納得した。)