河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

寸鉄 人を刺す

花が落ちる

幾つもの花が落ちた

落ちた花が小さな言葉をつぶやく

やがて、それが大きな言葉になっていく

よーう シャン シャン シャン

男になりたい たい たい たい

男で生きたい たい たい たい

そーりゃ 

男で死にたい たい たい たい

男で死にたい たい たい たい

男で死にたい たい たい たい

よーう シャン シャン シャン

シャン シャン シャン

シャン シャン シャン シャン

 

渡世人の手締めだ

心がたるんでいる時は、こうして手を締めた

手締めとは、躾の基本なのだ

躾とは、締めしをつけることだ

手を締め魂を締めて筋を通すのだ

借りた衣装で渡世はできない

義を見てせざるは勇なきなり

自我を捨てきれない奴らの末路は見えている

「ヤクザは辞めたが、男をやめた覚えはない」

寸鉄 人を刺す

晩年、親しくして頂いた安藤 昇さんはこう言ったっけ

ボクも男を辞めた覚えはない

(何から何まで真っ暗闇夜 筋の通らぬことばかり 右を向いても左を見ても

馬鹿と阿呆のからみ合い どこに男の夢がある。鶴田浩二さんの歌が浮かんできた。

今の時代にぴったりの歌詞だ。風雲急な年の瀬だなぁ)