河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

偉くなる必要などなかったのだ

偉くなる必要などなかったのだ

ふっと、そんな想いが心に回遊してきた

随分、長い道のりを歩いたものだ

来し方の景色が巡る

走馬灯のように

ボウ、坊や、お前、君、あなた、先輩、アニキ、師匠、先生…

呼ばれ方も、随分替わった

まるで出世魚のように

でも、とどのつまり先生と呼ばれても

それがどうした…

先生と呼ばれて、それが敬称ではないことも実感した

人生の後輩たちや同業者にとっては

便利な呼称に過ぎない 先生と言うなの馬鹿

愚かと言えば、これほど滑稽で愚かなことはない

未熟な心は直感的に嬉しがるだろうが

偉くなろうなんて馬鹿げた思いが邪魔をした

文学や経済や政治や道徳の勉強だって

奢りや栄誉の為ではなく

普段、誰かに美味いものを作るような

それだけの目的で良かったのだ

美徳やら義理やら体裁やら

何やらかんやら

金だの権力だの噂だのに

追われ追われて

気が付いたら、行き場のない断崖絶壁 

そんな奴が飛び込んだら

断崖の下に届く奴は、ひとりもいない

みんな、途中で消えちまうのさ

早く気がついて、良かった 良かった

(正月に、石垣りんさんの詩集を読んだ。社会性があり、ホラー感覚の作品が好きだ。彼女の詩を読んでいると、人間の呼称が変化してゆく、アップグレードして喜ぶ愚かな人々がせつなく見える。呼称に拘る人間には、なりたくないな。)