河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

無から無へ 人生と言う名の旅路

鎮守の森に漂う、ものの怪を感じている

この気配は死霊 妖怪の類ではない

清々しく優しく柔らかい

この神社の気配は、日本の心を宿している

脈々とやまと心を伝えている

これが鎮守の森の気配だ

これを肌で感じ、エネルギーを得る

ボクにとってはアイデンティティの礎なのだ

しかし、心の安寧…安らぎは寺に求める

ボクの高校は鎌倉の建長寺の境内にあった

心が荒び切った時は、手を合わせた

宗教観はない

人生など考えても所詮、誰にも分かりはしない

最後に行きつく先、最終の地はまだ、誰も見たことがないのだから

知っている振りをしたり

空想で言う人々は何処にもいるけれど…

はっきりしているのは

人間の一生は、無から無への小さな旅路に過ぎない

これを無駄な時間と考えるか

素晴らしい空間と考えるか

生きる阿呆に、死ぬ阿呆

同じ阿呆なら、楽しまなくては損、損…

格差なんかどうでもいいんだよ

全員が同じ、無から無への旅人

そして、はっきりしているのは

誰も自分の自由にはならない

自分をコントロールできない

だから人生は自己愛と嫉妬で成り立っている

それ以上でも以下でもない

自分だけが自分を愛する時の流れ

恐ろしい孤独感

だから、多くの人間たちは

神を求め、すがり、抱かれようと望むのだろう。

 

(生きることを、もっと素直に単純に楽しもうと思う。これも

ここまで生きて来たからこその感慨なのかも知れない。

歳を経て分かることや出来ることがある。ボクもやっと、そんな境地へたどり着いたのであろうか…分かった様な解らないような夢想だったな(笑))