河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

桜は死を想う花

風誘う 花よりもなお 我はまた

春の名残を 如何にとやせん

 

春の桜樹を見ると浅野内匠頭長矩を想う

満開の桜花の下で、命との決別を見つめていた

春になると、人々は桜の下に集うが

決して桜の樹は楽しいだけではない

ボクは何処かの少数民族が唄うこの歌が好きだ

 

この世で人が死にました

一人の人が死にました

大地が喜ぶ

空も喜ぶ

微笑んで唄っている

逝ってしまった

逝ってしまったよ

あの世の人が連れてった

そう、あの世の人がね

 

満開の桜の下には、死霊がいると書いた作家がいた

坂口安吾だっけ

桜の下にて我死なん

花は桜木 人は武士

桜は咲いた姿より、散る姿がいい

男心には、そんな憧れがある

咲いた花なら散るのは覚悟

見事散りましょ、男なら

桜は男の人生の象徴なのかもしれない

咲くことより、散ることに魂がうずく

日本人特有の美学なのだ

満月の十五夜より、少し欠けた十六夜の月を愛でる心だ

その絹糸のような繊細な感性がなくなった世相が無念だ

 

敷島の 大和心を ひと問わば

朝日に匂う 山櫻花

(毎年、桜の花の季節になると同じ気分が襲って来る。桜の花は静かに見つめていたい。ボクは集団での花見をしたことがない。

とてもする気にもならない。ボクにとって、桜は死を想う花なのだ。)