ボクの育った、この砂浜を
ボクはどれだけ歩いただろう
流れる雲や夕焼け空に向かって
どれだけ叫んだことだろう
嬉しい時も悲しい時も
見つめていた、この波の彼方
大切なものは全てここにあった
ボクは一途な想いの少年だった
好きな感情が溢れすぎると
いたずらに憎しみに変わった
好きと憎しみは紙一重
直球しか投げられない少年だった
防砂の松林も砂山も
潮吹き貝も浜木綿も
ボクを見つめていてくれた
正義感も道徳観も良識さえもない
少年的なボクの感情
北原白秋の『紺屋のおろく』のような
自分本意な少年と同じだ
憎いあん畜生は紺屋のおろく
猫を抱えて夕日の浜を
知らぬ顔して、しやなしやなと
染め物屋の色っぽい女に惹かれた少年は
どうせ手にはいらないのなら
可愛さ余って憎さ百倍
女の不幸を願ってしまう
ありにも少年的な感情の北原白秋
ボクも好きな少女の不幸を願う
憎いあん畜生な少年だったっけ
(湘南サウンドに目を閉じると、いつも砂浜で一人遊びしてる少年のボクが浮かんでくる。そしていつも、自分勝手な自分本意な少年なのだ。憎たらしいボクなのだ)