河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

ボクの故郷、鵠沼海岸の朝・・・

一面に立ち込めた朝もや…

砂浜に引き揚げられていた木造の漁船が、地曳網を下すのだろう、沖へ出て行った。

弓のように、きれいな弧を描く鵠沼の海・・・

右手には小田原から真鶴へと続く伊豆半島、そして残雪の消えた富士山。

左手には、ボクの遊び場である江の島の西浦。

脚元の砂山には、夜中に芳香を放っていた浜木綿の花の残り香が甘い。

すっかり、ボクの初夏の海だ。

誰にも邪魔されないボクの故郷だ。

気が付くと、ボクはテンガロンのストローハットをかぶっている。

これ、高校生の時にお気に入りだったのだ。

そうだ、砂防林の低い松林の横の砂山に、あの日、ボクは宝物を埋めた。

この地元の少年がやる、大人になる為の儀式だ。

掘ってみようかな。

両手で砂を掘る、砂をかき出す。

でも、宝物は出て来ない。

ビニールのごみやシケモクばかりだ。

コンドームまで出てきて、うんざりした。

ボクは汚れた手、いや心を洗う為に波打ち際へ行った。

寄せた潮が引いて行く時に、砂地にポコポコと小さな穴が開いて、空気が漏れる。

急いで、そこを掘ると、やっぱり小さな潮吹き貝がいた。

どでかいハマグリまでいた。

変わってないな、この海は・・・。

沖を見ると、波を切って進む背びれが見えた。

サメだ!

ボクは嬉しくなって、海にザブザブ入って行った。

背びれは見えなくなったが、ボクはこのままずっと沖まで泳いで行こうと決めた。

なんだか楽しくて歌を唄いながら泳いで行った。

美空ひばりの東京キッドだった。

 

(なんだか短編小説みたいな夢だったなぁ。我ながら良くまとまっていると自画自賛。高校生の時、砂山に埋めた宝物は、ジャックナイフだった。それは今でも何処かで錆びついているだろう。サメは小学生の頃、生きた奴を捕まえて、家に持ち帰り風呂桶で飼おうとして、親にひどく怒られたことがあったなぁ)