河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

永遠の子供・・・今もボクの中にいる。

早朝の夏の海・・・

昼間は人々の嬌声と騒音に包まれているボクの海。

でも、夜明けの海には観光客も居ない。

ゆるやかな南の風で、潮は静かに西に流れている。

鹿島潮・・・地元の漁師はそう呼ぶ。

こんな潮目がはっきりしている日は、地曳網に黒くてピーンとエラの張った鯵が捕れる。

既に漁師の乗った伝馬船が、沖へ漕ぎだしている。

ボクは浜木綿の群生する砂山に寝転がって、大好きな空想をしている。

ボクは、大人になったら、きっと船乗りになる。

この海の向こうに、もっと大きな海があって、その先には沢山の国があるって、先生が言っていた。

ボクは大きな船の航海士になって、世界中の国々を訪ねるんだ。

そこにあるのが、どんな国だか分からないけれど、ボクならきっとうまくやれる。

早く、大人になりたいな・・・。

世界の国にはきっと、美味いものが沢山あるんだろうな。

可愛い動物たちにも、会えるだろうな。

もしかしたら、お嫁さんも貰えるかな。

そんなことを、いつものように空想しているボクの後姿を、ボクが見つめている。

すっかり、昔とは景色が変わってしまった故郷の海、鵠沼海岸。

砂山はコンクリートの護岸になり、松林は砂埃の舞う駐車場に変容してしまった。

ボクの昔の遊び場は、何処にも見つからないけれど、子供のボクはそこにまだ居た。

「ごめんね」

ボクは子供のボクに謝った。

それは、まだ船乗りになる夢が実現していないことへの詫び。

こんな海岸にしてしまった、ひとりの大人としての懺悔。

ちょっと海草の匂いの混じった、潮の香りだけが昔のままだ。

大人のボクは静かに目を閉じた。

(夢の世界で閉じた目が、現の世界で開いた。なんともせつない夢だったけれど、忘れないようにメモをしてまた眠りについた。子供の頃のボクの大きな海は相模湾だった。それ以上の大きな海を見たことがなかったけれど、その先に何かがあるのは気が付いていた。さぁ、はやく、船乗りにならなくちゃ・・・。)