河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

エロスを失ったら、心理の創作はできない。

クロマキー撮影をするようなブルーバックの幻想的な空間。

霧が立ち込め、水琴窟に響くような水滴の音。

小麦色をした裸婦が眠っている。

その上半身は、シュルレアリスムの画家、マックス・ワルターのコラージュ。

ボクは圧倒されて、近づく事が出来ない。

でも、もっとその寝顔を見てみたい衝動を抑えきれない。

彼女のうしろ…ブルーバックスクリーンの陰にいくと・・・

そこにはコラージュされていない、美しい裸婦が眠っていた。

まだ少女のあどけなさが残る裸婦は、スクリーンに投影され、コラージュされていたのだ。

まるで、オズの魔法使いのようだ。

美しい裸婦の寝顔に性的な衝動を抑えきれない。

これがユングやフロイトのいうリピドゥなのか。

この欲望こそ、本来のボクのエネルギーの本体なのだ。

創作意欲の根本なのだ。

ボクは眠っている裸婦の見ているであろう夢を想う。

その寝顔には、美への幻想や陶酔感が溢れているのだ。

多分、彼女が起きている時は、その存在さえ気付かないエロス・・・。

意識の束縛を離れた今、のびのびとエロスの空間に遊んでいるのだろう。

ボクは、その場をそっと離れた。

なぜだろう?

自問自答した。

彼女の陶酔の邪魔をしたくないから・・・

ちょっと待て・・・ボクも今、エロスの空間にいるんじゃないか・・・

彼女に指一本触ることなく・・・

あわわっ・・・

慌てて戻ろうとしたが、目が覚めちゃった。

(エロスを失った人間に心理の創作活動はありえない・・・たしかフロイトは言っていた。その文言が好きで時々思い出すが、今日は夢の中にフロイトやユングが登場してきた。おもしろい。夢の奥義をもっともっと堪能したくなった。眠りの世界は最高だね。現実よりも