河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

ここは死に方のワークショップ・・・?

人だかりがしている街かど・・・

新宿3丁目の交差点近くのビルの景色だ。

大きな看板が出ている。

「死に方のワークショップ」

順番待ちらしく、長い行列もある。

どうやら死に方のセミナーが、開講中らしい。

人垣から覗くと、瀬戸内寂聴みたいなおじさんが、講義をしている。

受講生は、その全てがおじさんと、じいさんなのだ。

おばさんや、ばあさんはいない。

死に方を学びたいのは、男だけなのかい・・・。

ボクはバカバカしくて、その場を立ち去った。

寂聴みたいな、おじさん講師の声が追いかけてくる。

「人間はね、生れ方は自分で考えられない。でも、死に方は考えられるんでしゅよ」

当たり前じゃないか・・・とボクはつぶやく。

でも、坊さんの説教は聞きたくないし、世話にはなりたくない。

死に方は、あなたから教えられることかよ・・・と叫んでやった。

今、リタイアした老人たちが、お寺参りや、お遍路やご詠歌の会とかに参加しているが、あれも、あの世へ行く稽古らしい。

何と言うネガティブ思考・・・

ボクは暴走はしないが、人生を激走している。

その先に、死が待っているのは知らないではないが、そんなことはどうでもいい。

今のボクの、この毎日の生き方が、このボクの死に方だい、べらぼうめ!

てやんでぃ!

叫びながら、目が覚めた。

(ある程度の経済力や権力を身につけた老人たちが、暴走したり、迷走したりする姿を見るのはせつない。将に晩節を汚すってやつだ。死に際が悪いし、往生際が美しくない。

死に際こそ、男の美学を見せる時だ。それには今の生き方が大切だと思う。)