河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

何処までも蒼く深い記憶の泉、そこに身を沈めて・・・

鬱蒼と茂った草むらを抜けると、小さな泉があった。

蒼い清水が滾々と湧き出ている。

手を浸かると、思いのほか温かい。

それは心が傷ついたものたちを、優しく労わる記憶の泉だった。

泉の中に、ひとりの白髪の老婆が身を沈めている。

老婆は、我が子が年老いて没する様を想い出し、その愛おしさに涙している。

憑依体質の青年は、いつも現実と夢…その境界にいて、二つの世界を彷徨うことに疲れているようだ。

今までの記憶を全て仕舞い込む為に、この泉に来たらしい。

まだ、充分に少女の面影を残す、うつくしい母が子を抱きしめて入水する。

彼女は、彼女の子宝を、車や家や物と比較して産む、産まないを決定する、この国の家族制度が悲しい。

彼女は子宝を大切に守り抜くために、その想いの記憶を焼き付けたいのだ。

悲しい国に生きて行く女の定めだ。

独りの渡世人がやって来た。

地味な紺の着流し・・・

歩く姿に隙はない。

人様に情けの羽織は掛けても、恩の着物は着せない。

「義」と言う、渡世人の掟を、この娑婆に留めておく為にやって来た。

さて、ボクは何をこの泉に沈めておこうかな・・・

考えているうちに、目が覚めちゃった。

(自分が、この世の中で最も大切なもの、その多くはきっと、他人の論理では説明出来ないものだろう。だから自分自身の記憶の泉に、そっと沈めておくのがいい。

そして、必要な時に、そっと取り出して眺めて楽しめばいい。)