河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

恋は儚く辛いもの…

魂が色街を浮遊する

魂と魂が出会い、結合して恋が成就する

しかし、これが一筋縄では上手くいかない

だから、本来の恋は儚く辛いものなのだ

逢いたくても逢えない

結ばれたくても結ばれない切なさ

それが日本人本来の恋なのだ

万葉集を見れば分かる

万首の和歌の中に、恋の喜びを歌ったものは一首もない

万葉集の恋の歌はすべてが今、

目の前にいない相手を慕い想い求める歌ばかりだ

「忍ぶれど 色に出にけり わが恋は

ものや想うと 人の問うまで」

あの色男の平 兼盛もこう歌っている

人を好きになると、華やぐように内面の感情が浮き出てくる

あたかも皮膚が美しい花壇の花の如くに輝く

恋をした魚が婚姻色に身を装うように…

人も色に出るのだ

外に反映された内なる想いが恋なのだ

つまり、恋と想いは同義語だ

想い(おもい)は重い(おもい)と同意語でもある

心の中に、重いものを感じることが想いなのだから…

あの人を想うとは、心の中にずっしりと重たい感情を抱くことだ

恋とは決して楽しいばかりのものではない

恋は乞いとも同義語

儚い想いを乞い慕うのが恋なのだ

それは、離れ離れの恋人同士が

二人の魂を呼び求めあうことなのだ

つまり魂は浮遊しているものなのだって…

なんとか結論まで持って来たぞ、強引に…(笑)

 

(恋は英語で言うとI love youではなくてI miss you だろうね。

自分の前にいない相手を慕うのがmissだから。

目の前の相手を拘束したいほど抱きしめて離さない愛着が

「愛」Loveなのだ。)