河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

母なる海を求めて…そこは意外にも・・・

そこは、昭和の台所。

くすんで黒茶まだらの板の間。

歩くと、きしきしと音を出す。

二枚ガラスの窓に、すだれが掛かっていて、カマキリが来ている。

外では、蝉しぐれ・・・。

ブリキの流しには、いつも割烹着で後姿の母がいる。

とんとんとんとんとん、オツケのダイコを刻む正確なリズム。

息子のボクには、一番心が安定する日常の風景。

そんなことを、記憶の棚から引き摺り出しながら、ボクは風呂の中に鼻まで沈んでいる。

そうか、ボクは今、母の胎内にいるのだ。

胎内回遊・・・

このなんとも言われぬ浮遊感覚・・・

ボクが、海が大好きなのは、これだな。

母は海、産みの母とも言うし・・・

つまり、ボクが大きな銭湯のような風呂が好きなのは、胎内回遊なのか・・・。

ボクが、誕生した時は、母の胎内の海で泳いでいたんだから。

すると、カバが一日中、水の中にいるのは母から離れられないからだろうか・・・

ワニはどうなんだろう。

鯨は、ラッコは、ビーバーは・・・

動物の名を思い出していたら、目が覚めちゃったよ。

(なんだか軽い夢だった。でも、母の夢は人間の意識下に、いつもある体験的な憧れ…憧憬なのだ。父には、この想いを抱かないのは、やはり生物にとって母は特別な存在なんだね。風呂に潜って母を想う。なんて素敵な時間なのだろう。)