そこは、昭和の台所。
くすんで黒茶まだらの板の間。
歩くと、きしきしと音を出す。
二枚ガラスの窓に、すだれが掛かっていて、カマキリが来ている。
外では、蝉しぐれ・・・。
ブリキの流しには、いつも割烹着で後姿の母がいる。
とんとんとんとんとん、オツケのダイコを刻む正確なリズム。
息子のボクには、一番心が安定する日常の風景。
そんなことを、記憶の棚から引き摺り出しながら、ボクは風呂の中に鼻まで沈んでいる。
そうか、ボクは今、母の胎内にいるのだ。
胎内回遊・・・
このなんとも言われぬ浮遊感覚・・・
ボクが、海が大好きなのは、これだな。
母は海、産みの母とも言うし・・・
つまり、ボクが大きな銭湯のような風呂が好きなのは、胎内回遊なのか・・・。
ボクが、誕生した時は、母の胎内の海で泳いでいたんだから。
すると、カバが一日中、水の中にいるのは母から離れられないからだろうか・・・
ワニはどうなんだろう。
鯨は、ラッコは、ビーバーは・・・
動物の名を思い出していたら、目が覚めちゃったよ。
(なんだか軽い夢だった。でも、母の夢は人間の意識下に、いつもある体験的な憧れ…憧憬なのだ。父には、この想いを抱かないのは、やはり生物にとって母は特別な存在なんだね。風呂に潜って母を想う。なんて素敵な時間なのだろう。)