天から舞い降りて来たヤタガラスが、ボクに言葉を投げて来た。
そのヤタガラスは、時々やってくる。
そいつが投げつける言葉は、いつも毀誉褒貶する。
「作家に、人格者であることを求めるなよ」
突然、こんなことを叫んだのだ。
ヤタガラスの言う作家とは、どうやら文筆家や画家や彫刻家や音楽家などのクリエーターのことらしい。
つまり、もの創り人のことだ。
「作家の表現とは、現実追放された人々の最後のバーチャルな居場所なんだ」
「リアルな社会の中に、居場所がないから、歌ったり、踊ったり、演じたり、書いたり、創ったりするんだ」
確かに、そうかも知れないなぁと、ボクも想う。
作家のエネルギー源は、絶望かも知れない。
絶望ってやつは、毎日毎日、更新される。
その絶望にそそのかされて、生きることから腰を浮かして坂道をたった一人で降りて行く。
その作業が、もの創りなのだ。
キリケゴールも言っている。
「絶望とは、死に至る病である」
しかし今、生きている生が、必ず死を約束させられている限り、想いを遂げることは死に於いてしかない。
愛も然りだ。
死に於いて、盛りを永続させようとするのも又、命の営みなのだろう。
有能な作家が、自ら死を選ぶのは、そう言うことなんだろうな・・・
(なんだか、重たい圧迫感で目覚めた。でも、これはボクが絶えず考えていることだ。作家に道徳など求めるな。
作家は常に絶望の中に在る。作家は常に死を意識下に置いている。
作家は孤独な放浪者、ボヘミアン、五木寛之さんに言わせれば根なし草、デラシネなのだ。)