河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

愛される事に、貪欲な少年期だった・・・

ボクの肉体がまだ、人間としてのアウトラインがない頃・・・

ボクの精神はすでに、温かな交信を始めている。

瞬時に魂が融合してしまう女性に出会ったのだ。

それが、母だった。

ボクは母の愛をむさぼった。

愛されることに貪欲な少年期だった。

ボクの世界に何が起ころうと、台所の母の後姿に安堵した。

子供にもエロスはある。

母は将に、ボクだけのエロスの存在だった。

ボクは今、真夜中の大都会の片隅に座って、そんな想いに耽っている。

あれから・・・

母の愛に似たものを、年下の女性に求めた。

瞬間に身体が交信してしまう女性に出会うこともある。

しかし、いつも何かがボクを引きとめる作用をする。

そのドラマはいつもプロローグだけ・・・

エピローグまでは届かない。

夜空に月や星を求めて、幻想の世界を宇宙に広げる。

シュールの画家、ローラン・ブリジョーの描く「海の香り」・・・

漂う乳房に静謐なエロスの極みをみる。

乳房はいつも、母のエロスとの混濁・・・

男の二律背反・・・

ボクは・・・

独り悩むボクを見つめている。

(このような思考は、ボクの現実の世界ではない。しかし、ボクの体内には潜在しているのかも知れない。男が母に求める愛は究極のエロスだ。

夢は羞恥や見栄や隠匿を払いのけてくれる。愉しいもう一つの世界なのかも知れない。)