河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

武士道とは…むずかしい道なり。

庭の隅に大きな松の木があり、その根元に武器庫がある。

子供の頃、作ったそれを「ぶきこ」とボクは名付けていた。

まだ、漢字を知らなかったのだ。

ぶきこは、子供の頃に揃えた武器がそのままの状態で残っている。

ゴムのぱちんこ。

アカシアの木を削った刀。

竹で作った弓矢。

手裏剣代わりの硬い松ぼっくりもある。

ボクは、アカシアの刀を中段に構えて考える。

ボクは葉隠れ武士なり。

「世に教訓する人は多し」

「されど、教訓を悦ぶ人は少なし」

「ましてや、教訓に従う人は稀なり」

その通りだなぁ。

現代にもいるぞ、そんな輩が・・・。

大体、年上の面をして、人間の良し悪しを意見するのは簡単だ。

しかし、それは時に相手に恥をかかせる悪口と、なんら変わらないのだ。

たんなる暇つぶしだ。

人に意見を言う時は、相手が受け入れる心があるか否か、見極める洞察力が必要なのだ。

それが出来ねえ奴は、教訓なんか垂れるんじゃねぇ!

説教したくても、見逃してやったり、聞き逃してやる事が大事なのだよ。

「分かるかい!」

いつの間にか、子供の頃のボクが、刀を構えて言った。

「うん、分かった、分かった」

実は、ボクもしばしば教訓やら説教を垂れるんだよね。

しゃがみ込んで、武器庫を見ると、土蜘蛛が沢山砂の中に巣を作っている。

よし、こいつらを捕まえて、戦争ごっこをしようかな・・・。

(懐かしい武器庫だ。実家の庭ではあったが、大きな松の木の後ろはボクの隠れ家だった。嫌なことや悲しいことがあると、そこへ隠れて独り遊びをしていた。

ボクは空想しながら、独りで遊ぶのが大好きな子供だったのだ。)